担当医から、病院周辺の道を散歩していいと許可が出た。正し、散歩のコースは何通りかあって、そのコースの道を外れてはいけない。久しぶりに病院の外に出ると、決まった散歩道ではあるが、病院内の閉塞感から、少しながら開放された気持ちになった。病院周辺の散歩道のコースには、そのコース内にコンビニは無く、入院生活に必要な物は、 相変わらず病院内の売店で購入するしかない。病院の近くにあるコンビニに行くことによって、品物を選べない不便さが解消できるかと思ったが、それは全くの期待外れであり、その場所に行くことはできないのだ。道をそれて近くのコンビニに行けばいいじゃないか、と思うのだが、ルールを破るまでもなく、退院したら自由になるので、それまで病院でリハビリ治療する事と病院の決まり事を守ろうと思った。とにかく言葉が回復しなければ、不測の事態があった時、自分がどういう立場なのか、誰にも伝えられない。また、担当医が、日記を書いてみてはどうかと言う。失語症のリハビリの為だと、ノートにその日の出来事を記そうとボールペンを持った。だが、失語症になってから、文を捻り出すのに時間が非常にかかり、思うように言葉を繰り出せない。 当時の入院初期のノートを見ると、まず、漢字が思い出せなく、単語をひらがなで書いたり、文そのものが、間違って書き記されている。自分の病気の一過程なのだが、今、このノートを見ると、えもいわれぬその時の辛さに、胸が痛むような思いだ。もし言葉が使えなかったら?この問いは、今も全く払拭することはできない。