言葉をめぐる旅 plus CRT-D

じぶんの病気の付き合い方を考えるブログ

正月 [入院 #31]

晦日をまたぎ、2015年元旦、病棟のデイルームの卓上で朝食を食べていた。元旦もリハビリを行い、病院で過ごすのかと思ったが、主治医から、2日の夜まで外泊許可がでた。家族が迎えに来た後、家に戻る予定だ。療法士から出るリハビリの課題が、その患者にとってリハビリに適正な量なのか、その多さは感じるが、リハビリの為と思って、それをこなすことが自分にとって最良の選択だ、との思いを馳せる。特に言葉の訓練は、頭の中の言葉を使う時がリハビリそのもので、リハビリの課題以外も、頭に負荷が掛かってくる。気を抜いて休憩を入れるにも、何かを考えると、正しい言葉を使わねばと意識が働く。言葉のリハビリの課題、普段思う、回復の兆しにプラスとなろう言葉の訓練の試み、寝ている時に夢にでてくる言葉を朝、思い返す時もある。すなわち、言葉のリハビリには一日も休みはないのだ。家に帰ってもリハビリの課題をこなしつつ、家族と正月を祝った。脳梗塞を発症した時に比べると、自分の持っている語彙自体は、スムースに思い出せるようになったが、家族と会話するとなると発話がうまくいかないようだ。失語症における、言葉の壁は確かに存在して、家族といえども、病気の現状をいい方に認識しようとすることは、自分にとって迂闊うかつであり、家族の優しさに甘受してはいけないような思いもある。家庭の席で、正月の祝い膳を目の前にし、ノンアルコール飲料を口にしても、病院に戻ってからのリハビリのことが気になる。回復への危機感は、言葉が戻るに連れて、より一層、自分の頭にもたげてくる。家族と時間を過ごすことも、会話ができなくては、楽しさが半減するような、なにげない切なさを感じた。